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2016年 11月 18日

尊敬と思いやり

c0057602_12053440.jpg前々から気になってた、というか気に入らなかったこと。

YouTubeなんかをのぞくと「魚のさばき方」とか「お寿司の握り方」とか「〜のコツ」とか様々なHow toがアップされていて、それはそれは便利で「いっつもうまくいかないけどこんなコツがあったのか」と目からウロコだったりするんだけれど。

それはもちろん否定はしない。便利だし。ホリエ自身も時々参考にさせていただいている。

でも。
「やってみたら意外と簡単にできた。板前なんて大したことねぇな」
なんて風潮がどうにも気に入らない。
「坊主の真似してお経読んでみたらフツーに読めるじゃん。全然法事してやるよ」
ってのと同じだと思う。

それらに共通するのは対象となる行為への尊敬のなさとその行為の結果として生み出されるものを提供する相手への思いやりのなさ。
そういう「精神性の低さ」が苦手だ。

そういうのは幼い頃からのいわゆる「食育」が大事なんだと思う。
食材に対する理解や尊敬、調理に向き合う心の問題、食べてもらう相手に対する心持ち。
幼少時に「作ってる人の顔が見えない」ものを食べてばかりいるとそれらが不足しがちな気がする。
だからと言って大人になってからは身につかない、というわけではない。
自分にそれがない、ということを自覚する必要はあるけれど。

ちょっと器用な人間であれば「道具さえ揃えば」それなりのものを作ることができる。
ただ口にしたいのは「こんな状態のものを食べてもらいたい」という気持ちで作られた結晶であって「コツ」ではない。
特に食に興味がない人は調理するってことをナメてる傾向が見られる。
というかその技術を身につけるために要した時間やその人の努力をナメてる。
そのせいでちょこちょこっと見聞きした「データ」を「技」だと思ってしまう。

「データ」で作られた料理は「食べ物」ではあるけれどそれ以上にはならない。
「心」で味が変わるわけではないかもしれない。
「心がこもった」ものを食べてそうじゃないものと区別がつくかと言われれば、難しいかもしれない。
でもホリエが欲しいのはそういう精神性で、それは自分が提供したいものでもある。
だから自分でも同じものを作るにしても精神的に雑にならないようにしている。
古い考え方なのかもしれないけれど、道具や材料に左右されたくないし、コツにばかり頼って調理の過程で手を抜きたくない。
料理の腕を見せたいわけじゃない。「こんなものを作れるんだ」と自慢したいわけでもない。
ただ食べた人が「おいしい」と言ってくれることだけを望んでいる。
だからホリエの作るものは「飾り気が無くて地味」だと言われるんです(笑)
でもそれでもいい。それが自分の料理だから。


by radi-spa.horie | 2016-11-18 12:03 | 人間 | Comments(0)


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