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2016年 11月 26日

革命の日

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母は女の子が欲しかった。らしい。

本人から何度となく聞いたので間違いはないだろう。

しかし身体的な事情もあって、弟を生んでほどなくして子供を持つことを諦めざるを得なかったようだ。

彼女はこちらの気持ちなどあまり考えずにその辺の事情をホリエが幼い頃から話して聞かせた。

まるでそうすればホリエ兄弟が姉妹になると思っているかのようだった。

まだ学校にも通っていない幼い兄弟に女の子のようなボートネックにフレンチスリーブのショートパンツアンサンブルをわざわざ大阪や東京まで出向いて買い求めお揃いで着せたりしていた。

そのせいか今もジェンダーレスなファッションには抵抗がない。

そんな「着せ替え人形」は思春期の頃には立派に「母親好みの服を選ぶ息子」になっていた。

ただ、それは別にイヤイヤなわけではなく自然にそうしている気がしていた。

それがテイのいい洗脳であると言われればそうであるかもしれないが。

服を選ぶのは必ず母と一緒に。母が手作りしたものは文句ひとつ言わず着て喜んで見せた。今思えば完全にマザコンだ。

そんなホリエ青年が唯一「注文」を出したのがいわゆるフィッシャーマンズセーター。

確かポール・ニューマンだったかが映画かなにかの劇中で着ていたセーターを見て欲しかったように憶えている。

それを告げると母は嬉々として毛糸を買い込んできて編み始めた。ただ、母が買ってきた毛糸はベージュというかクリーム色のような優しい色だった。あわてて「欲しいのはグレーだ」と伝えたが、買ってしまったしあんたには白の方が似合う、と言われ諦めてしまった。

そしてそれは出来上がったのだが、母が編み上げたのは大きな縄編み模様が入ったいわゆるアランセーター。ホリエが期待していたのはどちらかというと写真のようなフィッシャーマンズセーターでも首回りの詰まった模様の小さなガーンジーセーターと呼ばれるものだったのだ。

思えばトラッドが席巻していた母の世代の人間が白いアランセーターを思い浮かべるのは当然といえば当然だったのだが。


編んでいる経過を見ていれば途中で中断させることもできたのだろうが、以前も書いたように母は何かイヤなことがあると寝付くことができず夜っぴいて23晩で仕上げたりするほどだったのだ。


それまでならそれでも失望した顔ひとつ見せず喜んで着せて見せたのだろうが、その時ばかりは違った。

ここがこういう風に違う、と注文をつけ何度も編み直しを要求したのだ。

母もなぜ今まで文句ひとつ言わず自分の提示するものを着ていた息子が急にうるさく注文しだしたのか甚だ疑問だったことだろう。

もしかするとそれまでホリエ青年の奥底で燻っていた何かが火を吹いたのかもしれない。


そうして何度かの編み直しの後、ようやく着地点を見つけめでたく完成となった。


そのセーターはその後何年も、ヨレヨレになって変色するまで、ちょうど今頃の季節になるとタンスの引き出しに並べられた。

そして、そのことがあってから母が着るものにあまり干渉しなくなった。


今もこの季節になって大きな縄編み模様を見かけると思い出す。



by radi-spa.horie | 2016-11-26 04:18 | Comments(0)


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