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2008年 03月 02日

改めて確認する必要のないことの確認

改めて確認する必要のないことの確認_c0057602_122144.jpgってかわざわざ確認する必要がないくらい明らかなことやったんやけど、
それを思い知らされる出来事があったので。
あくまで一般論としてお聴きください。

舞台に関わる人間には「アーティスト」と「アルチザン」がいると思うのさ。
前者は人の気持ちに関わらず、作品の質を上げようと邁進する。
後者は人の和を犠牲にしてまで作品の向上を目指すことはしない。

制作者は現場のことを基本的に考えない。
作品のことだけを考える(それが良い悪いじゃなくね)。
それは観劇の姿勢にも現れると思う。
「ここがこうだからこの作品は良い/悪い」
と評価してしまう。

技術者は(アーティストタイプの変人はともかく)作品の質以前に現場の環境を考える。
現場に和がなければ仕事がスムーズにいきにくいことを知ってるから。
「ぶつかりあうことで良いものが生まれる」なんて勘違いはもういいよ。
だから技術者は観劇の時もそれを考える。
「ここが難しそうなのによくやってる」
と同情してしまう。

若い制作者やその卵たちは自分たちが持つ小さな経験にある、予定調和の中での「ぶつかりあい」が本物だと勘違いして
「自分は舞台制作の神だ」と思い込んでしまう。
その中に「人間」が存在しているのを忘れてしまう。

根回しではない、思いやりなのだ。
馴れ合いではない、人間同士の協力体制なのだ。

さらに悪いことに、そんな「インスタント神様」の中には
「よし、下界のことを理解してみてやろう」
なんて愚かなことを考えてしまう輩もいて、
「自分のような人間が縁の下に追いやってしまった力持ち」たちに混じって
技術者のフリをしたがってしまう。
で、なんとなく経験してみて
「ああ、この人たちのやってることはこういうことなんだ」
と、なんとなく理解したような気になってしまう。

それは演技者が技術者側を理解しようとして手を出すのとは根本的に違うのに。
だって演技者は技術者と同じ「アルチザン」の側にいるんだもの。
技術者を理解しようとする努力は自分のためになるものなんだもの。

ファシストであるべき制作者を志した者に、
技術者のことを理解することなど不可能。
だから技術者は「技術者だったのになぜか制作に関わらざるを得なくなった人」
と仕事したがる。
根っこの部分を理解してくれてるから。

「気持ちはわかりますよ」って口で言うヤツより
何も言わなくても「わかってる」対応をしてくれるヤツが信頼できるもんね。


ん〜、なんだかわからん文章になってしもたな。
読み返してみたら、質の悪い古い戯曲を読んでるようだった(笑)。

by radi-spa.horie | 2008-03-02 00:57 | 人間


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