2017年 03月 14日

風習

c0057602_13144826.jpg奥さんね、居酒屋の半数ほどかね、まず席につき飲み物を注文すると(店によっては飲み物のオーダーを取りに来る時点で)煮物やお浸しなど手がかからずにすぐ出せるような料理がね、頼んでもいないのに小鉢で出されたりするでしょ。

いわゆる「突き出し」(「付き出し」かと思っていたがどうもこっちらしい)や「お通し」と呼ばれるものなんだけれど。

こちとらね、もうこのトシだから今やあっちこっちで呑んで(笑)変なシステムのお店にも当たっちゃったりしていろんな経験してるからそうそう驚かないんだけれど、店によっちゃとんでもない額の付き出しだったりして、いけしゃあしゃあとレシートに「オトオシ750エン」とか書いてあると「いや、あれに750円かよ」と思っちゃうわけ。

調べてみたらね、店側が(明らかにお酒を呑みにきた客に)「お酒は何をしましょうか?」と尋ねる意味で出すのが「突き出し」、料理が注文されたのちに「ご注文を確かに板場に通しましたよ」という意味で出される「注文した料理を食べる上で口の準備ができる料理」が「お通し」だそうでね。
だから突き出しは勝手に店側がその時にちょちょっと出せるものを出すけどお代は発生しないもの、お通しは料理として出されるものだからお代が発生するもの、ということらしいのよ、どうも。

ま、そういう言葉の違いはともかくね。どうせ正しい意味合いで使ってるとこなんてそうないんだから。

それはそうと、奥さん、あれ必要?
ま、そりゃいいお店でね「ああ、いいなぁ」なんて感じる旬の素材を使ったものが出されるんなら楽しみだけれど、いかにも「出来合いの買ってきたものです」ってポテサラで300円ほども取って「突き出しです」って言われても「席料ですって言うと具合悪いからそう言ってんでしょ?」って思っちゃう。
それこそ「しつらえ」で雰囲気をちゃんと作ってるお高い店なら席料は納得できるんだけれどね、テーブルをちゃんと拭いてもいないような居酒屋でさ、席料くれって言われたら「なんでよ」ってなっちゃうもんね。
そこを「突き出しです」って言っちゃえば何某かのお金になるもんね。

そこが全くもって気に入らない。

特に夜なんて「サービス料」って名前のよく分からないお金を取られてね、そこへ持ってきて食べたくもない料理をお仕着せで出されてしかもお金取られるっちゅーんだから。
って思ってたらそんなことでモメてる事例も少なくないらしくて(笑)「お通しでお金を取られるのはイヤなんですがどうしたらいいですか」なんて相談がネットなんかで取り沙汰されてたりしててね。
それに対してちゃんと「いりません、と断れば料金は発生しません」だの「予約の時にちゃんと確認を」だの面白い答えをね、真面目にしちゃってるわけ。
まぁそれもそれで違う気がするのよね。
呑みに行ってその店のシステムが気に入らなければ、二度とそこへ行かなければいいだけでしょ?
そうやって「自分の好みの店」を見つけるのも「修行」なわけで。
ぐるなびで自分が本当に気に入る店なんて見つかるわけないっちゅーの。

とはいえ、そういうのを一番嫌いそうな若いコがやってる店でも意外に「お通し」の風習がまかり通っててね。
がっかりさせられたりするわけですが。

そうそう、かくいうホリエ亭でもね、ホリエの気まぐれで突き出しを出したり出さなかったりしてましてね。
もちろん「店主の気まぐれ」で出してるもんなんでお代なんていただかないですよ、奥さん。
でもその時の気分や相手によって(もちろん忘れてるだけってこともあるんですが)出したり出さなかったりしてね、お代をいただくより厄介だったりするかもしれませんね(笑)

あ、今度の金曜日、3月17日は月イチのホリエ亭ですよ。
突き出し、欲しいなら欲しいって言ってくださいね。
ある時はお出ししたいので。


# by radi-spa.horie | 2017-03-14 15:15 | 食べ物&嗜好品 | Comments(0)
2017年 02月 28日

Smell as sweet

「わかりやすく噛み砕いて説明する」というのは
「少々間違った情報でも耳障りが良ければいい」というのと同義ではないよ。
人もモノもその名前で呼ばれるにはそうである理由があるから。

「名前がなんだというの? 
バラと呼ばれるあの花は、
ほかの名前で呼ぼうとも、
甘い香りは変わらない。」
なんてのは色恋に目がくらんだお嬢様の言い分で。

本来の名前で呼ぶのは大事なこと。
「わかりやすいから」と想像がつきやすい別のものと混同させるのは「それ」に対して礼を失すると思う。


# by radi-spa.horie | 2017-02-28 18:03 | 人間 | Comments(0)
2017年 02月 15日

God is not...

最近はレコード会社や事務所が何でもかんでもお金にしようとするあまり、どんなライブも音源化・映像化されてしまう。
だから昔みたいに「幻のライブ」ってのが存在しなくてアーティストが神格化されづらいんだよなぁ。
誰か死ぬと「幻のライブ」みたいのが絶対出るし。
幻は幻のままがいい。

若い世代としゃべっててギャップを感じるのはそこかなぁ。
「ライブでしか聴けないあの音源をCDにしてほしい」とか「あのライブ観に行けなかったからDVDにしてほしい」とかね。
アーティストはファンのコレクションを充実させるために存在してるんじゃない。
アーティストが与えてくれるものを享受するのがあるべき姿な気がする。

まぁレコード会社や事務所がそれに乗っかって「アーティストが形にしてほしくないと思っている」ものまで形にしちゃうからね。
死ぬまで形にしなかったってことは形にしたくなかったってことなんじゃないのかなぁ、と思う。

神様を人間化する必要は感じない。


# by radi-spa.horie | 2017-02-15 14:00 | 日記 | Comments(0)
2017年 02月 08日

空想レストランSeason4 #2+#2ex

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さて、このところペースが落ちているのでは疑惑の空レスさんですが、のんびりながらもちゃんとやっておりましてね。
というのもメンバー3人ともがなんだかバタバタとしておりまして、なかなかに集まにくかったりしてます。
それでも3人があつまるとやはりテーマに関係のないハナシを延々と繰り広げてるんですね。
減るのは残り時間とご飯ばかり(笑)
丼シリーズとなったこの第4シーズン、今回の丼は「ホリエポークチャップ丼フワフワたまご」(ワカバヤシ命名)

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サムギョプサル用の豚バラにケチャップとウスターソースで甘辛味を付け、その上に名前の通りフワッフワに仕上げたあっさりスクランブルエッグをたっぷり。
豚バラ+白ご飯+甘辛味+たまご、って「体のことちょっとは考えなよ」って組み合わせで攻めてきます。
そりゃまぁ白ご飯好き、豚バラ好きな空レス3人組にはまたとないご馳走。
野菜不足をちょっとでも補おうと汁ものは野菜たっぷりの豚汁に。









まぁ、そんなことにはほとんど触れずに関係ないハナシしてるんですけどね(笑)






本編はこちら。


おまけのコーナーはこちら。



# by radi-spa.horie | 2017-02-08 16:31 | 放送 | Comments(0)
2017年 01月 30日

空想レストランSeason4 #1+#1ex

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久しぶりにアップとなった空レス。
久しぶりということもあってとりとめのない会話80%でお送りしております。
今シーズンのテーマは「丼」。
そして今回の丼は「ホリエ親子丼」。ホリエの名前を冠した意味は聴いていただければわかります。
加えておまけのコーナーも!あの大ベストセラーをディスったり、一発屋芸人さんをパクったり、あっちへこっちへ飛びながら本編よりもとりとめなく炎上寸前の会話をダラダラと。長い!(笑)
さぁ、張り切ってどうぞ!

本編はこちら。


おまけのコーナーはこちら。




# by radi-spa.horie | 2017-01-30 11:13 | 放送 | Comments(0)
2017年 01月 17日

神おわす國

直前に起きたしんどすぎる出来事に、本気で中止を考えたのだけれどいろんな人に迷惑をかけてまでとった休暇だったので1泊2日で島根へ出かけてきました。
以前から泊まりたい宿、というか食べたい朝食があったのもあり松江に逗留。

前日まで寒波の襲来が心配されていたので出発ギリギリまでおっかなびっくりだったんですが、フタを開けてみれば大したことはなく無事に出発。
途中高速を降り岡山県美咲町の「かめっち」さんで玉子かけご飯の朝食をいただいたあと、ひとまずはまっすぐ出雲大社へ。

c0057602_10173500.jpg何年かぶりの下り参道、二礼四拍一礼の参詣。
大注連縄も拝し、御朱印も頂いて島根ワイナリーさん経由で昼食へ。




















c0057602_10173417.jpg昼食は「羽根屋」さんの本店で「三色割子」「釜揚げ月見」「鴨なんば」と食べたいだけ食べ(いやぁ、釜揚げはさすがに美味かったなぁ)腹一杯の状態で「天穏」で有名な板倉酒造さんで自分用の土産も仕込みいよいよ宿へ。




















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実は今回、旅先に島根を選んだのはここに泊まることがメインで。

ホリエは知る人ぞ知る「汁かけご飯好き」。
味噌汁でもなんでもご飯になにかかかってたらいくらでも食べられちゃう。
そんなホリエが以前から食べてみたかったモノがこの「皆美館(現在の名前)」にはありまして。
ただいかんせん、与謝野夫妻や小泉八雲、棟方志功、岡本太郎など数々の文人墨客が逗留した名門旅館、お安いわけがなく、メインになっている宍道湖側の露天風呂付き客室はホリエの懐にはなかなかキビしいものがあったんですが、それとは逆サイドの洋室は意外にリーズナブル。
逆サイドとはいえ客室を出た廊下からは大橋川の河口がよく見えなかなかの眺望。
予約の際はそのリーズナブルさに正直あまり期待してなかったんですが、部屋の広さや調度、セッティングされたオーディオなども含めさすがの名門。お値段以上の値打ちがありました。

その夜は以前松江に逗留した時に楽しんだ居酒屋を求めて歩き回ったものの、どうもなくなっていたというオマケがつきましたが、宿のすぐ近くにいいお店を見つけることができ、ノドグロの煮付けを始め松江周辺の美味しいモノを地酒のお供にいただいて千鳥足で部屋へ戻り、いい具合にこじんまりとした浴場で貸切状態(メインの客室は露天風呂がついてるからね。なおかつ全部で10室ほどなので)でお風呂をいただき就寝。






c0057602_10173444.jpgさて、翌朝。
お待ちかねの朝食は「不昧公好みの家伝 鯛めし」。

なんでも松江の7代目の殿様である松平不昧公はなかなかの趣味人で茶道を奨励(なので松江市内には干菓子・生菓子を扱う店が多く、様々な銘菓がある)したりするなど道楽者(を演じていたとの説もあり)で美味いもの・いいものはことごとく「不昧公お好み」と名付けられていたりする。

そんな殿様がお好みだったという鯛めし。
鯛めしといえば焼いた尾頭付を入れ土鍋で炊き上げるタイプや宇和島鯛めしのように漬けを玉子かけご飯のように食べるものなどを思い浮かべますがこの鯛めしの鯛は「ほぐし身」。
いわゆるそぼろのように細かくほぐされた鯛の身の他、うらごしされた玉子の黄身、白身、海苔や薬味をご飯に乗せ皆美館特製の出汁をかけてさらさらと茶漬けのようにいただくというもの。
もういわば「汁かけご飯の最高峰」。すばらしい上品さ。
もちろんそれだけではなく季節の様々をいただいた後に〆で鯛めしをいただくという贅沢さ。

いや〜、すばらしかった。
毎朝でもいいです。
なんなら毎食でも。
それぐらいよかった。




c0057602_10173371.jpg心地よい逗留と最高の朝食に気を良くし、この日はなんだかんだと寄り道をしながら奥出雲ワイナリーでホリエ亭でお出しするワインを仕入れたり、大好きな笠岡の「いではら」で笠岡ラーメンをいただいたり、倉敷の美観地区をそぞろ歩いたりとあちこちフラフラしながら(笑)帰ってきました。

純粋に観光で泊まりで出かけたのも久しぶりで、ちょっとリフレッシュできてありがたかったなぁ。
なんとなく元気も出た感じ。

さて、次はいつになるんだろうかね。


# by radi-spa.horie | 2017-01-17 08:45 | 紀行 | Comments(0)
2017年 01月 14日

decay / decade

c0057602_00041854.jpg悪いことがあると「神も仏もない」なんてことを言う人がいる。
でも本当は「神も仏もある」んじゃないかと常々思う。
神も仏も本当にいて、そして気ままに人間の運命を弄んでるんじゃないかと。
そうでも思わないと説明のつかない「不誠実な出来事」がある。
それも「彼ら」は突然/前触れもなく/強引にそれを起こす。

「乗り越えられる試練」だから与えると言う。
「乗り越える」もなにも、全てを取り上げるような所業をする「彼ら」にはほとほと愛想が尽きる。

「最初から決まっていた」のだと言う。
勝手に決めておいてよく言う。

どうせ気まぐれで突然決めたことなのだ。
どうせ大した理由もなく決めたことなのだ。










間接的に(いや、直接なのかもしれない)色んなことを教わった人が突然この世を去った。
近しくさせていただいたのはここ何年のことだったが、その人の色んな部分を「カッコいい」と思った。
失礼だけれど「可愛い」とも思った。
「仕事は楽しい」と本気で思っている人だった。
「しんどいから楽しい」のだと。
ああいう人こそ神や仏なのだと思う。
「彼ら」も見習えばいいのだ。
そちらに行ったあの人に色々と教わればいい。
そして反省すればいい。

背中を丸めてニコニコしていたあの人のことを考えながら、今日は呑む。
おつかれさまでした。ごゆっくりしてください。またいつか。


# by radi-spa.horie | 2017-01-14 23:02 | 日記 | Comments(0)
2017年 01月 09日

そういえば、昔からそうだった。

c0057602_23071896.jpg「時間ギリギリで最後の最後に残った、もうそれしか選択の余地のない方法」
というのがジッと何かの影に隠れて助監のキューを待ってる。
あとは「ここぞ」というとんでもなく切羽詰まったタイミングで出されるキューに、
「その方法」は満を持して出てくるのだ。
「おい、オレを待ってたんだろう?」と。
もうなんだかスクリーンに大写しになったベネディクト・カンバーバッチのように。

最初からちゃんと準備をして、その計画通りに事が進み、上手くいくに越した事はない、
とどこかで思っていても、ギリギリまで手をつけられない。
それは「トラブル好き」という言葉では括れない、
「マゾヒスティック」でもない。
ましてや「追い詰められないと動けない」なんてドラマティックさでもない。
大ごとでともすれば取り返しがつかないのでは、ということほど、
そうしてしまう。

「運命を待つ習性」とでも言うべき呪われた体質。

体質だから治らない。


# by radi-spa.horie | 2017-01-09 23:17 | 人間 | Comments(0)
2017年 01月 08日

自動車という人格

c0057602_14132222.jpg朝から、大きな別れをしてきました。
年末に決めてはいたんですが、いろいろな事情でこのタイミングにはなりまして。

愛車、というか古女房のラシーンさん。
20歳台後半から30歳台くらいの全盛期には恐らくその辺の営業マンよりも車の中で過ごした時間が長かったんじゃないかと思うと、身の回りにいる誰よりもこの車と一緒にいた時間のほうが長いのかもしれません。
何度かの大手術にも耐え、乱暴なホリエの扱いにもへこたれず、文句ひとつ言わずにいろんなところへ運んでくれました。

最後に助手席に乗ったのは虎徹(笑)

車検証で確認したところ、初乗りが平成10年の3月。ほぼ19年。
降りる時に目にしたメーターは「225,394km」。地球を5周以上。
これだけ一緒にいた時間が長くてホリエが全くイヤな気持ちにならなかった相手はこの方だけかもしれません。
彼女はどう思ってたかわかりませんが(笑)

最後は事故という良くないイベントが幕を引くきっかけにはなりましたが、それでもホリエが怪我をせずに同乗者に怪我をさせずに済んだのはラシーンさんのおかげだと思っています。

日に700km以上も走った時も、パンッパンのアイスバーンで危ないメに遭った時も、大雨で橋が渡れず淡路島に足止めされた時も、フェリーで海を渡った時も、屋根にまでたくさんの荷物をギチギチに積んで現場へ行った時もいつも一緒でした。

ありがとう、ラシーンさん。
よく頑張ってくれました。
おかげで豊かな生活を送れました。
おつかれさま。


# by radi-spa.horie | 2017-01-08 14:33 | 日記 | Comments(0)
2017年 01月 05日

やがてゆく道

c0057602_22495276.jpg小さい子、それも2〜3歳の「どう動くかわからない、見た目ではわからないとんでもない力を発揮する瞬間がある」幼児を、安易に身体的なポテンシャルがどんどん低下するおじいちゃん・おばあちゃんが世話を買って出てはいけないと思う。
「そうは言うけれど昔は畑仕事の間、年寄りが子供の面倒を見てたもんよ」
なんて言うのは車両が今のように多くなく、突然刃物を振り回すような犯罪がなかった時代のこと。
よく見るんだけれど、おじいちゃんおばあちゃんに連れられた幼児がその手を振り切って車道へ飛び出すようなことがままある。
あんな子供を自分の車で、なんて考えるだけでゾッとする。
こっちにも、世話をする自分たちにもとんでもない負担になることをよく考えて欲しい。
孫が可愛いのはわかる。
たぶん自分がそうならそうするであろうと思う。
ただ、そこで思いとどまるのが孫のためではないかと思う。

あと、自転車も免許制にしてはもらえまいか。
ある程度の年齢以下も以上も「ルールを守る」という意識以外の部分で危ない。
「交通弱者」とは言うが、それを作らない工夫も必要なのではないか。
無責任な親の自転車について確認もせずに車道に飛び出してくる子供をよけたり、自転車の荷台に山のように荷物を積んでフラフラと車道と歩道を行きつ戻りつするお年寄りをヒヤヒヤしながら追い抜くのは自転車に乗っている時ですら非常にコワい。


# by radi-spa.horie | 2017-01-05 15:49 | 人間 | Comments(0)
2017年 01月 03日

年初のごあいさつ

c0057602_09490035.jpg明けましておめでとうございます。
今年は年末年始の予定を全て振り切って、なんにもなしにしたのでいわゆる三が日はほぼ初めての「寝正月」を過ごさせていただきました。
今年も「生かされる」1年でなんとか生き抜いていこうと思います。

何年も何人もの人に言ってますが、
人の生き方は「螺旋」であるべきだと信じています。
人はいつまでも「同じこと」をすることから逃れられない。
けれどもループのような「同じこと」でも螺旋のように少しでも高い位置にいるべきだと。

今年もそれだけを念頭に生き切ります。


# by radi-spa.horie | 2017-01-03 11:13 | 日記 | Comments(2)
2016年 12月 26日

ヴェロシティ

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若い頃って自分の好きな人としか付き合いがなくて偏ってるから、その振り幅の外にいる人がする事・言う事に対して「変だ」とか「理解できない」とかって言うけど、要は自分のヴェロシティが世間の振り幅についていけてないってことを露呈してるだけなんだよね。



# by radi-spa.horie | 2016-12-26 09:57 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 13日

distance

c0057602_23201546.jpgよく言われる「空気を読む」というのはなにも特別なことではなく、
例えば他人と一緒に歩く時にその人との関係を(無意識に)適切に判断して距離や位置を判断する能力のことじゃないかと思う。
近すぎても遠すぎても前すぎても後ろすぎても真横でもダメな感じ。

と、一緒に歩いて「邪魔くさいな」と思う相手が一緒だったので考えた。
わっかんねぇかなぁ。
その距離感は煩わしいんだよね。


# by radi-spa.horie | 2016-12-13 23:20 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 12日

残らないDNA

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虎徹の去勢手術をしました。
ずいぶん前からずっと悩んで、メリットデメリットを相殺し出した結論でした。
が、いざ手術日が迫るとこの結論でよかったのかと最後の最後までグズグズ考えてしまいました。

手術に入る直前に連絡をもらうことになっており、その電話があった時も往生際悪く逡巡がありました。
1時間ほどして手術が無事済んだ旨の連絡があり、ようやくあきらめがつきました。
半日ぶりの虎徹は病院に置き去りにされたからかいささか仏頂面で、それでもちゃんと元気そうな様子は見てとれ、ホッとひと安心。
その顔を見てなぜだか涙が出そうになりました。
もう彼のDNAは残りません。
額の模様も、やたらと噛むクセも、炭水化物が好きなところも彼で最後。

だからこそ最期のその日まで、彼の全てを愛してやろうと思います。


相変わらず噛むけど(苦笑)


# by radi-spa.horie | 2016-12-12 00:20 | 日記 | Comments(0)
2016年 12月 08日

I love you.

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ものすごく長い間、自分の感情を表に出すことを良しとしない考えをしていた。

特に「好き」だと口に出して言うことを意識的にしてこなかった気がする。

もういいトシだけれど、残りの人生そんなんではもったいないので最近は意識して「好きだ」ということにしている。

# by radi-spa.horie | 2016-12-08 00:05 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 05日

死んだライナーノーツ

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ちょっと前によく似た面白いハナシが間を空けずにネットで取り沙汰されててね。

でも、よく考えると「面白い」とも言ってられない気がしてね。


ご存知の方も多いと思いますが、若者に人気のバンドSEKAI NO OWARI(以下セカオワ)を老舗オジさんテクノユニット電気グルーヴがパクってるって話題が世間を騒がせたのはつい最近。


「ん?」って思いません?


なんかセカオワのファンがどこかで電気グルーヴのとある楽曲を耳にしたらしく「なんだよこれ、オレたちのセカオワにテイストそっくりじゃん。誰だよこのオッさん達。パクりじゃねぇの?」って思ったみたい。

個人的には「似てるかなぁ」って思うんだけど、電気グルーヴの志向が最近変わった(んなわけあるかい・笑)わけじゃなければ「似てる」のはセカオワの方ってことになる。


ただね、それを仲間うちで話してるだけならよかったんだろうけど、いきなりSNSで全世界に向けて発信しちゃったもんだから大騒ぎに。今の時代はコワイねぇ。

まあこの件は電気グルーヴのファンが「25年前からパクってたのがバレたか」「それはセカオワに失礼だろ」なんて返しで笑える大人の対応をしたので事なきを得たんだけれど。

ま、「セカオワに似てる」といわれた楽曲を改めて聴きましたが「似てるか~?」って感じでしたが(笑)


そのちょっと前にこれまた若者に人気の新進バンドONE OK ROCK(以下ワンオク)の「To Feel The Fire」を缶コーヒーのFIRECMでどこの馬の骨だかわからないスティービー・ワンダーなる黒人のオッさんがカヴァーしてるって騒ぎになった(笑)

ワンオクファン曰く「どうせ使うならカヴァーじゃなくワンオクのを」「誰だよこのオッさん」だってんだもんね。


そんなもの、ライナーノーツ(それ自体がなくなりつつあるし、ダウンロードで買ってりゃないわな)やちゃんとした音楽誌読んだらわかるよ。

若いコはそういう欲がなくなっちゃたのかなぁ。音楽として「聴く」ことよりもカルチャーとしてはたまたファッションとして「身につける」ことがよくなっちゃたんだろうかねぇ。

音楽自体に関して詳しいヤツは「オタク」って呼ばれちゃうんだろうか。

何がびっくりしたってこの前若いコとしゃべってて「ライナーノーツみたいにさぁ」「ライナーノーツって何ですか?」みたいなことになったのよ。

存在自体を知らないわけ。そりゃダメだわ。「じゃあアーティストの情報って何で仕入れてるの?」って訊いたら「WikipediaとかTwitterですかねぇ」って。やっぱしか。それ「事実の羅列」や「アーティストサイドからの情報発信」じゃん。


これね、ただ「バカな若いコ」ってだけで片付けられない(もちろんそれもあるけど・笑)気がするんですよ、奥さん。

考えてみたらね、今の若いコたち(に限らんか)って音源はデータでネットから買うか、CD買うにしてもすぐに携帯端末に放り込んで聴くわけじゃない。「モノ」はいらない状態なのよね。

ホリエ世代はアナログレコードとCDの端境の過渡期で両方を知ってて、アナログは不便だのデジタルは音が冷たいだの「所有してる音源」に関しての論争があったわけ。もういいトシなんだから知ってるでしょ?奥さん。あの頃ってまぁもちろんレンタルレコードとかあったけどやっぱりまだまだ「所有する」文化だったと思うのよ。

それが「所有しない」文化になって何が変わったかっていうと「ライナーノーツ」もそのひとつだとだと思うわけ。


ライナーノーツ、知ってますよね。アナログレコード時代の歌詞カードには必ずペラ1ぐらいは入ってたあの紙。特に洋楽には歌詞の日本語訳にくっついたりしてて。

音楽に詳しい文化人や音楽ジャーナリストと呼ばれる人、はたまたそのミュージシャンをよく知るミュージシャンが楽曲やアーティストの人となりや歴史を解説した、いわば「解説書」。渋谷陽一さんとかピーター・バラカンさんとかね。懐かしいなぁ。

アナログレコード時代はもちろん、CDになってからも初期の頃はちゃんと入ってたあの紙を舐めるように読んだなぁ。そのアーティストのバックボーンにある様々を先人から教えてもらいました。「そうかあのリズムの感じはそんなミュージシャンから影響受けてんだな」とか「あのギターの音作りは」みたいなね。

で、そのルーツになった音源を聴いてみたくなってバイト代の多くをそれに注ぎ込んだりしてました。その中には間違った情報や、筆者個人の思い入れも多分にあったけど(笑)

そういう意味では今は「そのアーティストのことを第三者から教えてもらう」機会がグンと減ったと思うんです。この「第三者から」っていうのが大事じゃない?奥さん。アーティストサイドが発信する情報ならオフィシャルサイトでも見ればいいわけなんだけれど、それはそこ、他人から見たイメージや情報なんて載せてないじゃない。あんなの見てもアーティストサイドが発信したいことしか入ってこないもんね。

エヴァじゃないけど「他人から見た自分」っていうのは大事。でそれは本人からは絶対に提供されない情報。だからこそ第三者が思い入れたっぷりに語るライナーノーツが必要だと思うわけ。かく言うホリエも思い入れたっぷりに語っちゃってるけど(笑)


最近の音楽誌も一部を除いてはもはやレコード会社や芸能事務所の宣伝媒体に成り下がっちゃっててね。もう音楽情報の発信源としては弱い。アーティストの繰り出す「音源」に対して辛辣なことなんて言ってないものね。

そんな環境の中アーティストに関しての「他人からの情報」を手にするのはもはや無理があるのかもしれない。


一億総オタクだったあの頃を懐かしんでもしかたがないのかもしれないけれど、せめて自分の好きなアーティストに関してぐらいいろんな情報・意見を仕入れて詳しくなってほしいねぇ。表面的なファッションに終わらせずにさ。お願い。



"Harvest Moon" by Neil Young



# by radi-spa.horie | 2016-12-05 23:25 | 音楽 | Comments(2)
2016年 12月 03日

コンスタンティノープル

c0057602_10253775.jpg結局今の広告屋さんってのは
「クライアントが納得する」ものを作るのが仕事であって、
「告知相手にいかに届くか」は二の次になってる。

大手であればあるほど結果が求められない、
という不思議な現象。
いや、現状。

会社の名前にあぐらをかいて名の知れた高いデザイナーに仕事をさせて、
テイのいいものを吐き出すが「結果は知らん顔」。

もちろん広告屋は広告するのが仕事なんだから、
とは思うけれどあまりにヒドいのをよく見る。
クライアント側の
「自分に耳当たりのいい言葉だけを聞きたい」
というところも問題あるのかもしれないが。
「中抜き」という作業に特化しすぎた果て。

先日伺った素晴らしいイベント。
会場で配られるパンフやステージに踊る
「いかにもそれなりのデザイナーがやりました」
ってロゴマークや、
名の知れたそうそうたるスポンサーの名前の羅列。

それにひきかえ、
素晴らしいパフォーマンスを見せるアーティストのステージなのに
客席には少なくない空きが。
かくいうホリエもお誘いいただくまでそんなイベントが開催されているのさえ知らなかった。

カッコ良いイベントサイトを構築し、
「一部の人の目に触れる」カッコ良いポスターを制作し、
体裁を整える。

まぁ、零細事務所のやっかみなんですがね(笑)


# by radi-spa.horie | 2016-12-03 10:25 | 日記 | Comments(0)
2016年 12月 01日

目分量

c0057602_12093440.jpgいつ頃からだろうか、目分量で調味料を入れても煮物の味がパシッと決まるようになったのは。
若い時分は入れすぎたり、足りなくて慌てて足して雑な味付けになったりしたものだった。
それでも「計る」というのが何か違う気がして頑なに目分量でやっていたらそのうち良い塩梅が身についた。

良い塩梅、という中には調味料の量だけじゃなく食材を入れる順番やタイミング、食材の状態に合わせた調味料の増減なんかも含まれると思う。

そう考えると、人間関係を構築・維持していくことは料理によく似ている。

過ぎれば取り返しがつかなくなることもあるし、足りなければ水臭い。
それも人との付き合いを通してでしか塩梅を学ぶことはできないし、計れるものではない。
同じ人と同じコミュニケーションの取り方をしていれば同じ関係を保てるわけではない。
食材と同じく、相手の状態に合わせて頃合いを調整する必要がある気がする。
春の大根と秋の大根に同じ味付けをしていてはダメなのだ。

まぁ、それが上手くできれば苦労はしないのだが。


# by radi-spa.horie | 2016-12-01 12:09 | 人間 | Comments(0)
2016年 11月 29日

Right Time, Wrong Way

c0057602_09450898.jpg

店の業態や営業時間や定休日や店名や味をコロコロ変える店は好きじゃない。

ホリエが「外で食べる」ということにはその味以上に安定感が欲しくてそうしているのに落ち着かないからだ。

「いいな」と思っても、しばらくして再訪したら中にいる人間は同じなのに店名はおろかメニューまで変わっていたりすると酷く裏切られた気がする。残念この上ない。


なぜか日本人は「未完成の美」に惹かれる傾向があるみたいだ。

「まだまだ店の味は決まっていません」なんて平気で良いことのように言う店主がいる。

完成してないものを客に提示してお金を払わせるという仕事もなかなか珍しいのではないかと思う。

もちろん、味は時代に合わせて変わっていくべきである、というのはひとつの考え方だ。

長く続いている飲食店は時代に合わせて自分を変化させることができた結果だと思う。

「頑固一徹」を貫いているように見える老舗もちゃんと「時代」に乗っているからこそ生き残っているのだ。

(そこを勘違いして「ウチはこのやり方を変えません」なんてとこはやはり中途半端に終わる傾向が・笑)


閑話休題。


ずいぶん前に入ったラーメン店で店主が「ボク修行したんは大阪なんでね、商売はね、『商い』って言うぐらいだから飽きたら終わりやっちゅーて教えられてきたんですわ。そやし飽きひんように色々試してみてるんですわ」と訓示をくれた。なるほど何年かして訪れたその店は違う店かと思うほど味が変わっていて「ああ、そういう人なんだな」と思ったもんだ。

「飽きない」のは仕事のやり方にであって「味」にではない。

一期一会で出会えた味が「実験」であってはいけないと思う。

仕事に飽きずに「時代にあった同じもの」を出せる店がいい飲食店だと思う。


特にラーメン屋や蕎麦屋や洋食屋なんかのプリミティブなとこはそれを守って欲しいんだよなぁ。



# by radi-spa.horie | 2016-11-29 09:42 | 日記 | Comments(0)
2016年 11月 26日

革命の日

c0057602_04185511.jpg

母は女の子が欲しかった。らしい。

本人から何度となく聞いたので間違いはないだろう。

しかし身体的な事情もあって、弟を生んでほどなくして子供を持つことを諦めざるを得なかったようだ。

彼女はこちらの気持ちなどあまり考えずにその辺の事情をホリエが幼い頃から話して聞かせた。

まるでそうすればホリエ兄弟が姉妹になると思っているかのようだった。

まだ学校にも通っていない幼い兄弟に女の子のようなボートネックにフレンチスリーブのショートパンツアンサンブルをわざわざ大阪や東京まで出向いて買い求めお揃いで着せたりしていた。

そのせいか今もジェンダーレスなファッションには抵抗がない。

そんな「着せ替え人形」は思春期の頃には立派に「母親好みの服を選ぶ息子」になっていた。

ただ、それは別にイヤイヤなわけではなく自然にそうしている気がしていた。

それがテイのいい洗脳であると言われればそうであるかもしれないが。

服を選ぶのは必ず母と一緒に。母が手作りしたものは文句ひとつ言わず着て喜んで見せた。今思えば完全にマザコンだ。

そんなホリエ青年が唯一「注文」を出したのがいわゆるフィッシャーマンズセーター。

確かポール・ニューマンだったかが映画かなにかの劇中で着ていたセーターを見て欲しかったように憶えている。

それを告げると母は嬉々として毛糸を買い込んできて編み始めた。ただ、母が買ってきた毛糸はベージュというかクリーム色のような優しい色だった。あわてて「欲しいのはグレーだ」と伝えたが、買ってしまったしあんたには白の方が似合う、と言われ諦めてしまった。

そしてそれは出来上がったのだが、母が編み上げたのは大きな縄編み模様が入ったいわゆるアランセーター。ホリエが期待していたのはどちらかというと写真のようなフィッシャーマンズセーターでも首回りの詰まった模様の小さなガーンジーセーターと呼ばれるものだったのだ。

思えばトラッドが席巻していた母の世代の人間が白いアランセーターを思い浮かべるのは当然といえば当然だったのだが。


編んでいる経過を見ていれば途中で中断させることもできたのだろうが、以前も書いたように母は何かイヤなことがあると寝付くことができず夜っぴいて23晩で仕上げたりするほどだったのだ。


それまでならそれでも失望した顔ひとつ見せず喜んで着せて見せたのだろうが、その時ばかりは違った。

ここがこういう風に違う、と注文をつけ何度も編み直しを要求したのだ。

母もなぜ今まで文句ひとつ言わず自分の提示するものを着ていた息子が急にうるさく注文しだしたのか甚だ疑問だったことだろう。

もしかするとそれまでホリエ青年の奥底で燻っていた何かが火を吹いたのかもしれない。


そうして何度かの編み直しの後、ようやく着地点を見つけめでたく完成となった。


そのセーターはその後何年も、ヨレヨレになって変色するまで、ちょうど今頃の季節になるとタンスの引き出しに並べられた。

そして、そのことがあってから母が着るものにあまり干渉しなくなった。


今もこの季節になって大きな縄編み模様を見かけると思い出す。



# by radi-spa.horie | 2016-11-26 04:18 | Comments(0)
2016年 11月 22日

いらぬものとて

c0057602_22425504.jpg1年間ホリエ亭をやらせていただいたこともあり、何度も何度も「豆」を炊きました。
最初はうまくいかなかったりしたんですが、何度もやってるうちに「これ」という勘所がわかるようになりました。

特に色の濃い大きめの豆(紫花豆など)は炊くことの難しさもありますが「アク抜きの度合い」を見極めることの方が難しかったりします。
基本的にアクは水溶性なので豆の場合は「茹でこぼす」という作業を行うことでアクを抜くんですが、長時間加熱すると豆が割れたり煮崩れたりする元。
なので何度も茹でこぼして水を変え、少しづつアクを出していきます。
紫花豆などは5〜6回も茹でこぼします。
アクを抜けば抜くほど炊き上がりは「すっきりとした」「上品な」味に仕上がります。
ただ抜きすぎると素材の味があまりしない「調味料の味」になりがち。
そこで「アクを残す」作業が必要になってくるんですが、豆の保存状態や保存期間(要はヒネてるかどうか)によって残り具合が変わってきます。
その見極めが難しい。なのでできるだけ同じお店の同じ状態のもの(お店の人の判断ですが)を使うようにすることでずいぶんと安定しました。
それでも旅先の道の駅なんかで買ったものや頂いたものは茹でこぼすごとにかじってチェックしないと判断できません。

そんな邪魔者のように言ってきた「アク」ですが、年齢とともに「本当に必要ないのか?」と思うようになりました。

どんな食材を炊いても多少のアクは出ます。なんのイヤな味がしない野菜を炊いても白く泡だつようにアクが浮かびます。
植物性のアクというのは植物が渋み・苦味・エグ味などで草食動物から身を守るために持っているものだと言いますが、必ずしも人体に悪影響があるものばかりではありません。
もちろんほうれん草なんかに含まれるエグ味の元・シュウ酸などは腎臓に問題のある人にはある意味「毒」になるものです。
でもアクの多くは「生で」「大量に」「一度に」摂ると問題のあるものばかりで、健康な人が普通に食事で摂取するくらいの量ではなんら問題のあるものではないようです。

ごぼうのささがきってみなさんどうしてます?
まずはごぼうをたわしで洗って、包丁の背かなんかで皮をこそいで、削りながら酢水に落としてアクを抜く、というのが教科書なんかで見る方法。
でもああしちゃうと「ごぼうの土臭い味」がほとんどしなくなりませんか?
もちろんボイルだけでサラダなんかにして食べる分にはその方がいいのかもしれませんが、ごぼうの味そのものを楽しみたい時には頼りない気がするんです。
炊き込み御飯や柳川鍋、きんぴらにするにはもはや皮をも残したいくらいです、個人的には。

ことほど左様に(年齢とともに)アクを欲するようになってます。
ワインも日本酒も雑味が複雑な個性が強いものを求めるようになったのはそういうことなのかも。

そんな中、ホリエカレーを作っている時にも「アク」の問題は付いて回ってました。
トマトペーストや玉ねぎがメインで昆布と鶏ガラスープで炊き込むホリエカレーでも白い泡としてアクがかなり浮きます。
最初はそれをしつこく掬ってたんですが、知り合いのパキスタン人の「カレーはアクが出なくなるまで炊く」というひと言で考えが変わりました。
「アクが出なくなるまで」というのはアクをしっかり取ってということではなく、アクが炊くうちに溶け込んでなくなってしまうまでという意味。
そこまで炊くことで仕上がりの目安にしているらしいのです。
アクも味に必要なものだからと。
目からウロコでした。なかなかカレーの味に「厚み」が出なくて困っていたから。
そこで全くアクを掬わずに炊き続けてみました。するといつもの仕上がりの時間くらいにはほとんどアクが見えなくなったのです。
その味は今までのような「すっきりしすぎた」クリアなものではなく野菜やダシをストレートに感じられる芯のあるものになりました。
パキスタンの知恵恐るべし。

それ以来、いろんなものをアクを取らずに炊く実験を重ねてます。


# by radi-spa.horie | 2016-11-22 22:42 | 食べ物&嗜好品 | Comments(0)
2016年 11月 20日

1年

c0057602_16325624.jpg命日には少し早かったんですが、諸々の事情を鑑み父親の1周忌を済ませました。
昨年の今頃、何をしてたか色々考えながら。
そのあととんぼ返りだったのでバタバタで帰ってきてしまいましたが。
できれば命日にもう一度戻ってやろうと思います。


# by radi-spa.horie | 2016-11-20 16:19 | 日記 | Comments(0)
2016年 11月 18日

尊敬と思いやり

c0057602_12053440.jpg前々から気になってた、というか気に入らなかったこと。

YouTubeなんかをのぞくと「魚のさばき方」とか「お寿司の握り方」とか「〜のコツ」とか様々なHow toがアップされていて、それはそれは便利で「いっつもうまくいかないけどこんなコツがあったのか」と目からウロコだったりするんだけれど。

それはもちろん否定はしない。便利だし。ホリエ自身も時々参考にさせていただいている。

でも。
「やってみたら意外と簡単にできた。板前なんて大したことねぇな」
なんて風潮がどうにも気に入らない。
「坊主の真似してお経読んでみたらフツーに読めるじゃん。全然法事してやるよ」
ってのと同じだと思う。

それらに共通するのは対象となる行為への尊敬のなさとその行為の結果として生み出されるものを提供する相手への思いやりのなさ。
そういう「精神性の低さ」が苦手だ。

そういうのは幼い頃からのいわゆる「食育」が大事なんだと思う。
食材に対する理解や尊敬、調理に向き合う心の問題、食べてもらう相手に対する心持ち。
幼少時に「作ってる人の顔が見えない」ものを食べてばかりいるとそれらが不足しがちな気がする。
だからと言って大人になってからは身につかない、というわけではない。
自分にそれがない、ということを自覚する必要はあるけれど。

ちょっと器用な人間であれば「道具さえ揃えば」それなりのものを作ることができる。
ただ口にしたいのは「こんな状態のものを食べてもらいたい」という気持ちで作られた結晶であって「コツ」ではない。
特に食に興味がない人は調理するってことをナメてる傾向が見られる。
というかその技術を身につけるために要した時間やその人の努力をナメてる。
そのせいでちょこちょこっと見聞きした「データ」を「技」だと思ってしまう。

「データ」で作られた料理は「食べ物」ではあるけれどそれ以上にはならない。
「心」で味が変わるわけではないかもしれない。
「心がこもった」ものを食べてそうじゃないものと区別がつくかと言われれば、難しいかもしれない。
でもホリエが欲しいのはそういう精神性で、それは自分が提供したいものでもある。
だから自分でも同じものを作るにしても精神的に雑にならないようにしている。
古い考え方なのかもしれないけれど、道具や材料に左右されたくないし、コツにばかり頼って調理の過程で手を抜きたくない。
料理の腕を見せたいわけじゃない。「こんなものを作れるんだ」と自慢したいわけでもない。
ただ食べた人が「おいしい」と言ってくれることだけを望んでいる。
だからホリエの作るものは「飾り気が無くて地味」だと言われるんです(笑)
でもそれでもいい。それが自分の料理だから。


# by radi-spa.horie | 2016-11-18 12:03 | 人間 | Comments(0)
2016年 11月 15日

過剰なプロフェッショナル

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どんな現場でもあることなんだけれど、「やりすぎててしんどい人」っていない?

やりすぎというか「職業オタク」になっちゃう人。

なんでも「がんばる」ことはそりゃもちろんいいことなんだけれどね、それは否定しないけれど、手段が目的になっちゃうとそれはもう「場の雰囲気が読めない」人以外のなにものでもないわけで。

がんばってる感を出さずに結果を残すのがプロフェッショナルなわけでね。

「オレッちこんなにやってるぜ・知ってるぜ」って前面に押し出されると「ハイハイ」ってちょっとゲンナリしちゃう。

そういうタイプの人って仕事だけじゃなくプライベートでもそういうの出してくるじゃない?

「こんなにがんばってる」とか「こんなすごい人と知り合い」とか「こんなに忙しい」とか。

あれしんどいんだよなぁ。

特にホリエ自身が「がんばる」とか自己主張とかが苦手な自堕落な人間だからかもしれないけれど。

いや、きっとそのせいなんだけど。

ゆるくいこうよ。表向きはさ。がんばるのは中身だけでいいよ。



# by radi-spa.horie | 2016-11-15 10:03 | 人間 | Comments(0)
2016年 11月 13日

マニア(告知含む・笑)

c0057602_17264538.jpg6月まで「カレー屋ホリエ亭」を週一でやらせてもらって面白いことが色々ありました。

その中でも「ホリエが作る特定の料理をものすごく喜んでくれる人たち」の存在が興味深かったなぁ。
女子で多かったのはキャロットラペ好き。
特段変わったレシピで作ってるわけじゃないし、毎回目分量でしかもその度アレンジが違うんだけどなぜかウケた。
ありがたいね。

一度、どうしてもいいニンジンが手に入らなくて作らなかったことがあったんだけれど
「なんで今日はラペないんですか?」と尋ねられたりした(笑)
ほんと、ありがたい。

あとは毎回お付けしてた冷たいポタージュかな。
それも毎回違う食材で違う味付けだったんだけれど、あるOLさんなんかは「辛いものが苦手なんでカレーは無理なんですけどスープだけって失礼かなと思ってカレーを食べてた」っておっしゃってて(笑)
そんな無理させるのも悪いからってことでハニーマスタードチキンサンドをレギュラーメニューにしたり。

なんか、こっちが何気なく作ってるものに限って「ハマる」人がいたりして、それは本当に面白かった。

今月、25日にホリエ亭が「昼呑み屋ホリエ亭(カレーもあるよ)」と題して限定復活します。
もちろんラペも(笑)
「カレー屋」じゃなくなった分、酒の肴増量の予感。
お時間あれば是非。


# by radi-spa.horie | 2016-11-13 13:53 | 人間 | Comments(2)
2016年 11月 10日

空の胃

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絶食2日目。
だいぶ体がこの状態に慣れてきた。

絶食と言っても水分はたっぷりと摂り、ラベイユのシラクーザの森のはちみつ(絶版になったようで今非常に不安)をひと舐めして最低限のカロリーと糖分と酵素を体には入れている。
カフェインと炭水化物を胃に入れないだけで毎日のように感じていた胃の不快感から完全に解放されつつある。

このまま調子に乗って続けると倒れると思うので様子を見て3日間を限界にし俗世に復帰する。

最初の食事、なんにしようかなぁ。

# by radi-spa.horie | 2016-11-10 11:35 | 日記 | Comments(0)
2016年 11月 07日

Inherited Tastes

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昔から父の作る食事が好きだった。
伊吹山の麓の田舎町の人だった父が作るものはいきおい塩味が強く、子供の舌にははっきりしたその味が心地よかったのかもしれない。

「ナウい奥様」を標榜していた感のある母親はレシピ本やなんかを参考に「おしゃれ」な食事を作ることが多くあったが、母親が臥せっている時や作りたがらない時は親父がキッチンに立っていた。
今考えれば、弟が生まれた時は母親が不在だったはずなので2〜3歳のホリエの食事は父が作っていたのだろう。
ホリエが中学生の頃からキッチンに立つことに抵抗がなかったのはそういう姿を見ていたこともあるのだ。

小学生の頃、夏休みなんかに早朝から仕事についていくとトラックの中で渡される弁当。
紫蘇漬けの真っ赤な梅干しがたっぷり入ったおにぎりや、味の付いていない白ご飯を砂糖と醤油で異常に甘辛く炊いた油揚げに詰めたお稲荷さん、これでもかと塩と青ネギを入れたしょっぱい卵焼き…。
小学生の胃袋には少々多めのそれらを夢中で食べた記憶が、父との夏休みの思い出。

分かりやすい味のものは自分なりの味付けで比較的容易に再現できる。
が、父が作っていたのはそれ以外にもあった。
職業として「鮎のあめだき」を炊いたり、ふなずしを漬けたり、鯉を調理したり、親戚の集まりでイノシシをバラしたり、様々な「プロの技」を持っていたのだ。

先日、請われて久しぶりに鮎を調理した際に「なんとなく」しかその調理方法を知らない自分に気づいて呆然とした。
小さい頃から何度となく調理過程を眺め、できたてを温かいうちに口にしていたホリエは軽々しい気持ちで引き受けたのだった。
魚をどう調理すればよいのかはもちろん知っている。
しかし、鮎という繊細な食材を自分が覚えているあの「あめだき」にするには父の技術が必要だったのだ。
四苦八苦しながらなんとか仕上げた「あめだき」は自分の記憶の中にあるものには程遠く、慎重に形の良いものを選んでなんとかテイを為して苦々しい思いで先方に渡した。


父が急に亡くなったので、今まで享受されるだけだったものの調理方法は「教えて」もらわず終いになってしまった。
あんなに形よく炊かれた鮎、塩梅の良いふなずしは永久に失われた。
自分の子供が成人した今、かつての父の気持ちがなんとなくわかるようになりこれから大人同士のコミュニケーションが持てる、という時に失った父親という存在はそういう意味でも大きかった。
世の中の人々に父の作ったそれらのものを食べてもらえなくなったのが返す返すも残念だ。

逆に、自分が作ったものを食べてもらえなくなったのも。
実は亡くなる数日前、膝を痛めた父を病院に連れていくために夜の予定を押して実家に帰っていた。
帰り際、男やもめにありがちなキッチンの有様を見て、手近にあった鶏肉で自分がよく作るハニーマスタードチキンを年寄りの口に合うように醤油の割合を多めにして仕込み「あとは明日にでもトースターで焼いて」と置いて戻った。
次の日、電話で話していると「あれ、美味かった」と感想をくれた父。
思えば自分が作ったものを食べてもらうことはあまりなかったなぁと反省して、これからは戻った時にできるだけ何か作って置いていこうと思った矢先。

味を伝えてもらうことも、自分の味を食べてもらうこともできなくなった。
教えて欲しい味も、食べて欲しい味もまだたくさんあったのだけれど。

人の人生において味は思い出であり資産であると思う。
食べさせてもらったり食べさせたり、ということで繋がっていく気がする。
そんなことを最近強く感じて、成人して食べるくらいは自分でなんとでもするようになった我が子にできるだけ自分が作ったものを食べさせる機会を増やそうと思った。
これで彼の中にホリエの味が刻まれていくことを願いつつ。


# by radi-spa.horie | 2016-11-07 12:31 | 食べ物&嗜好品 | Comments(2)
2016年 11月 05日

ショー・マスト・ゴー・オン

c0057602_16573832.jpgどうも寒くなると炊きおかずの汁をたっぷりめに作って、残り汁で別のものを炊く「自転車操業炊いたん」をやりがちではある。
ぶっちゃけ4〜5日は続けてしまうことがある。
もうそうなるとメニューの度に入る豚や鶏の出汁が混ざり合い、野菜の旨味が渾然一体になって「これ」と特定できない味わいになっていく。
その「雑味が育っていく」感じを楽しむのが(そして鍋を洗う手間をいかに省くかが)好きなのだ。
暑い時期には煮物を入れたままの鍋を放置すると半日で傷んでしまうのでできないので、寒くなってからならでは。
限界まで待つのだ。
どんどん複雑な味になっていき、最終的におじやでピリオドを打ちその「濃いダシ」を楽しむまで。


"Pleasure Seeker" by Naked Music

# by radi-spa.horie | 2016-11-05 16:57 | 食べ物&嗜好品 | Comments(0)
2016年 11月 03日

misjudgement

c0057602_11221840.jpg
最近ある人にね、「ぶっちゃけて言うとね」って告白されまして。
なんでもその御仁がおっしゃるには、その方のお知り合いのことをホリエが攻撃するようなツイートをしたとのこと。
だからホリエのツイートにはリツイートしたりリプライつけたりしないようにしたんだとか。
先方のことを訊いても、はて、そんな方の事を何か悪く言ったかしらん、と考えても全く思い当たらず。
その方の事について言及したことすらない。

よくよく確認すると、全く一般論でツイートしたことを件の御仁が「自分の大好きなあの人のことをホリエが悪く言ってる(ま、そのツイートも正確に言うと「悪く言ってる」わけじゃないんだけどね)」と誤解されたようで。
説明をしたんだけれどどうしても納得していただけなくてね。
ついにはウソつきだとお怒りになる。
ま、でも不愉快にさせてしまったのはこちらにも非があるので、若干納得いかないまま謝罪しまして。
お互いにフォローを外す、ということで決着しました。

実を言うとそんな誤解を受けたのは今回が初めてじゃなくて。
一般論で書いてることに対して「あらやだ、私のことかしら」とか「オレの知り合いのことじゃねぇか」と訝しむお人が今までにもおられたんですが。

そんなにね、ホリエが発言することなんて意味のあることじゃないし、役に立つことでもないし、ましてや人様を悪く言えるほどの人間じゃないのでね。
「悪く言ってる」と思えることも「ホリエの戯言」と無視していただいた方がいいですよ。
そんなことでね、お心を煩わせなくても。

無視してくださいね。
得意でしょ?みなさん。


"No Hay Igual" by Nelly Furtado

# by radi-spa.horie | 2016-11-03 10:40 | 人間 | Comments(0)
2016年 10月 30日

マイ・アニミズム

c0057602_12135391.jpg宗教観なんていうほどのことでもないんだけれど。

以前書いたように、駆け落ち同然でホリエが誕生した堀江家はホリエが幼い頃は露天の生簀の監視小屋みたいな掘っ建て小屋に住んでて。
でもまぁ、彦根よりもさらに田舎から出てきた青年だった父は家族のために必死で働いて。
ちょうどホリエが小学校へ上がる直前くらいだったかなぁ。
生簀が並ぶ敷地の中にようやく一軒家を建てるってことになってね。
当時の自宅から子供の足で歩いての2〜3分しか離れてないところ。

保育園が休みの日曜日はその新築現場も休みでね。
棟上げもまだ先の現場には見たこともないぐらいたくさんの材木が積み上げられていて。
スノコに乗せられた材木には大きなブルーシートがかけられていた。
「危ないから入ったらあかんで」なんて言われてても、そんなの聞くわけない(笑)
日曜ごとにそこへ行ってはブルーシートの中に潜り込んで、材木の山と山の間にできた大きなテントのような空間で長い間過ごしていたのを覚えている。
自分は「ナイショ」のつもりだったんだろうけど親はわかってたろうなぁ。

自分の背丈よりも高く積み上げられた木材が真新しい香りを放つ薄青い空間。
当時5〜6歳だったホリエ少年にとってある意味「聖域」だった。
母親の実家へ行っては仏壇の前で手を合わせるのが普通のことだったホリエ少年。
なんとなく敬虔な気持ちになったのも普通のことだったのかもしれない。
自宅から内緒で持ち出した牛乳瓶に近くのあぜ道で摘んできた野の花を生け、何もアイコンになるものがないのに手を合わせていた。
仏でも神でもなく、自分が感じた「何か」。
それは宗教と呼ぶにはあまりにプリミティヴでシンプルな「何か」だった。

年を経て様々な「教義」を学び、それとともに考えることがどんどん複雑にはなっていった。
なっていきはしたけれど失ったものも多かった気がする。
もっとシンプルに「何か」を尊ぶことを思い出してもいいのかもしれない。


"Pig" by Vai

# by radi-spa.horie | 2016-10-30 12:13 | 人間 | Comments(0)