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カテゴリ:人間( 212 )


2017年 08月 02日

クリームシチューのハナシ

c0057602_22503382.jpg前にも話したと思うけれど。

ホリエの母親はステレオタイプな「洋画に出てくるような素敵な奥様」を盲目的に標榜してた人でね。
だからそんな彼女が作るのは勢い洋食が多くて。
ローストビーフだとかシーフードカレーだとか煮込みハンバーグだとかババロワだとか。
要は「ハレの食事」を作りがちだった。
テキスト本的なものをよく買ってきていたのを思い出す(まぁそれがあったからホリエが料理をしだすきっかけにもなったんだけれど)なぁ。
ホリエが4歳の頃に新築した家にシスムキッチンを導入したことも相当うれしかったんだと思う。

父親は滋賀県の県境に近い山里出身の田舎の人だったから多分そういうものがあまり好みじゃなかったようで。
彼が好きなのは鶏皮で麩を炊いたのや唐揚げやひじきと豆の炊いたのやすき焼き。

そりゃね。

味がはっきりしてて濃くてごはんのおかずになるものだから、子供達はその方が好きでね(笑)
それが悔しかったのもあるのか母親は「そういう」おかずは頑として作らず、そんなメニューの時はほとんど父親が作ってた。
もっとも子供達が中高生になる頃には弁当のこともあって母親も「そういう」おかずを作るようになはっていたけれど。

今だから言うけれど、そんな「素敵な奥様」ワナビーな母親が作るものの中でホリエの「唯一」と言っていい好物がクリームシチューだった。
なぜかカレーに関しては「どのメーカーのルウを使うか」ぐらいしか工夫のなかった(まぁ、今のように選択肢が色々ある時代でもなかったしね)母親が、ことクリームシチューやグラタンに関してはちゃんとルウを自作してそれはそれは美味いものを作ってくれた。

弟はどんなリアクションだったかよく覚えてないけれど、母親の作るクリームシチューは今までの人生の中でもホリエが口にしたこの世の洋食メニューの中で一番美味いものだったと思える。
それは自分がそれを作るようになってからもそうだ。

今はもう叶うことのない美化された思い出が有利なことはよくわかっているけれども、どんな洋食の名店でクリームシチューを食しても彼女のそれに敵うものがない。

ただね、そんな「何よりも美味い」クリームシチューをホリエ少年はそのまま食べたいわけじゃなかった。
幼いホリエ少年にとってとろみのついた「汁」にカレーと同じ「具」が入ってる料理はカレーと同じく「ご飯にかけるもの」という印象が強かった(逆に父親はカレーライスをイヤがり、あくまでおかずとして別盛りにしたがったが)。
でもそんなホリエの気持ちを知ってか知らずか、母親は頑なにご飯とは別盛りで、なんならご飯じゃなくロールパンをそのお供に出してきた。
あれも意地だったのかもしれないね。

だからホリエは大人になって自分でクリームシチューを作るようになるまで「自分が食べたい食べ方」をできずにいました。

今、自分が食べたい時に母親の味に近い(それでもやっぱり彼女の作るそれの方が美味かった気がするけれど)クリームシチューを作って食べられるようになった。
もちろんそれをお気に入りのパンで食べたりするのも好きだけれど、最終的にはしっかりご飯にかけて食べます。
ベタに粉チーズをかけて。
世の中の洋食屋さんに「クリームシチューライス」っていうメニューがなぜないのか首をかしげながら。

これ、メニューとして出すんなら「ホリエライス」って名乗っていいよね?



「ポピパッパパー」by 乃木坂46



by radi-spa.horie | 2017-08-02 00:52 | 人間 | Comments(0)
2017年 06月 21日

象は忘れない

c0057602_11361409.jpg特に日本人は好きみたいなんだけれど。

「酒飲むとどうしようもないクズなのに、アーティストとしてはすごくいいものを創る」

なんてのが昔から苦手です。

う〜ん、いい方が難しいな。

自分が当事者として特にイヤなメに遭ったってわけじゃないけれど、前述の「酒飲むとクズ」な人が酔っ払った挙句暴れてね、人を殴ったりすると殴られた人にとっては「自分が殴られたイヤな相手」としてしか認識できないのに、その人がどんな美しいものを創ったり素晴らしい言葉を紡いだりして認められようとも、その人にとっては「イヤな相手」であることは変わらないわけで。

それをアーティストとして素晴らしいからその部分には目をつぶる、っていうのがどうしても納得いかない。
そんな人間が評価受けるべきじゃない、と思う。
自分がヒドいメに遭う(酔っ払って怪我するとかね)分には知ったこっちゃないから勝手にやっといたら、と思うけれど。
自分の身を削って、それで良いものを創れるのならそれはそれで評価されて良いのかもしれない(それにしたってそのことによって精神的に傷つく人もいるかも)けれど。

それよりも「ちゃんとした人」が良いものを創った時にもっと評価するべきだと思う。
誤解を恐れずに言えば。
「クズ」が創ったものはどんなに美しくても(「美しい」という評価を得るのは別問題として)「クズが創った」という枕詞が付くべきじゃないのか、と思う。

ま、個人的にはね。


by radi-spa.horie | 2017-06-21 12:05 | 人間 | Comments(0)
2017年 06月 20日

グルメの定義

c0057602_00294913.jpgこれだけ「グルメ」を謳うドラマや番組が氾濫し、「グルメのことを教えてくれる」サイトに「レビュー」として自分の意見を書きこむ人間が多いにも関わらず、「自分でうまいものを作る」ということに積極的な人間が意外に少ない。
なにも料理人になる必要はない。

「美味い」と思うものを自分で作るぐらい作ればいいのに、と思う。

でも

自分が食べたいものを自分で作りたいと思うのは至極自然な感情ではないのかと思っていたら、どうもそうでもないらしい。
「お店で食べられるものなら店で食べればいい」
と思う人が意外に多い。

もちろんホリエも蕎麦や寿司など、長い経験からくる旨さを必要とするものは自分で作るよりも信用のできる店で食べたいと思うけれど。
チェーンの居酒屋で出てくるようなメニュー、自分で作るくらいちょっとがんばれば(モノによってはがんばらなくても)造作もないことだと思うのだ。
でも作らない人は作らない。

ちょっとした素人割烹みたいなお店で出てくる料理なんて、家庭でお母さんが作るようなものばかりなのに。
なんてハナシをしていたら「ホリエさんは生活のかなりな部分を食に捧げてるからそう思うんですよ」と指摘された。

そういうもの?


"変わらないもの" by 上白石萌音

by radi-spa.horie | 2017-06-20 23:29 | 人間 | Comments(0)
2017年 02月 28日

Smell as sweet

「わかりやすく噛み砕いて説明する」というのは
「少々間違った情報でも耳障りが良ければいい」というのと同義ではないよ。
人もモノもその名前で呼ばれるにはそうである理由があるから。

「名前がなんだというの? 
バラと呼ばれるあの花は、
ほかの名前で呼ぼうとも、
甘い香りは変わらない。」
なんてのは色恋に目がくらんだお嬢様の言い分で。

本来の名前で呼ぶのは大事なこと。
「わかりやすいから」と想像がつきやすい別のものと混同させるのは「それ」に対して礼を失すると思う。


by radi-spa.horie | 2017-02-28 18:03 | 人間 | Comments(0)
2017年 01月 09日

そういえば、昔からそうだった。

c0057602_23071896.jpg「時間ギリギリで最後の最後に残った、もうそれしか選択の余地のない方法」
というのがジッと何かの影に隠れて助監のキューを待ってる。
あとは「ここぞ」というとんでもなく切羽詰まったタイミングで出されるキューに、
「その方法」は満を持して出てくるのだ。
「おい、オレを待ってたんだろう?」と。
もうなんだかスクリーンに大写しになったベネディクト・カンバーバッチのように。

最初からちゃんと準備をして、その計画通りに事が進み、上手くいくに越した事はない、
とどこかで思っていても、ギリギリまで手をつけられない。
それは「トラブル好き」という言葉では括れない、
「マゾヒスティック」でもない。
ましてや「追い詰められないと動けない」なんてドラマティックさでもない。
大ごとでともすれば取り返しがつかないのでは、ということほど、
そうしてしまう。

「運命を待つ習性」とでも言うべき呪われた体質。

体質だから治らない。


by radi-spa.horie | 2017-01-09 23:17 | 人間 | Comments(0)
2017年 01月 05日

やがてゆく道

c0057602_22495276.jpg小さい子、それも2〜3歳の「どう動くかわからない、見た目ではわからないとんでもない力を発揮する瞬間がある」幼児を、安易に身体的なポテンシャルがどんどん低下するおじいちゃん・おばあちゃんが世話を買って出てはいけないと思う。
「そうは言うけれど昔は畑仕事の間、年寄りが子供の面倒を見てたもんよ」
なんて言うのは車両が今のように多くなく、突然刃物を振り回すような犯罪がなかった時代のこと。
よく見るんだけれど、おじいちゃんおばあちゃんに連れられた幼児がその手を振り切って車道へ飛び出すようなことがままある。
あんな子供を自分の車で、なんて考えるだけでゾッとする。
こっちにも、世話をする自分たちにもとんでもない負担になることをよく考えて欲しい。
孫が可愛いのはわかる。
たぶん自分がそうならそうするであろうと思う。
ただ、そこで思いとどまるのが孫のためではないかと思う。

あと、自転車も免許制にしてはもらえまいか。
ある程度の年齢以下も以上も「ルールを守る」という意識以外の部分で危ない。
「交通弱者」とは言うが、それを作らない工夫も必要なのではないか。
無責任な親の自転車について確認もせずに車道に飛び出してくる子供をよけたり、自転車の荷台に山のように荷物を積んでフラフラと車道と歩道を行きつ戻りつするお年寄りをヒヤヒヤしながら追い抜くのは自転車に乗っている時ですら非常にコワい。


by radi-spa.horie | 2017-01-05 15:49 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 26日

ヴェロシティ

c0057602_09591409.jpg若い頃って自分の好きな人としか付き合いがなくて偏ってるから、その振り幅の外にいる人がする事・言う事に対して「変だ」とか「理解できない」とかって言うけど、要は自分のヴェロシティが世間の振り幅についていけてないってことを露呈してるだけなんだよね。



by radi-spa.horie | 2016-12-26 09:57 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 13日

distance

c0057602_23201546.jpgよく言われる「空気を読む」というのはなにも特別なことではなく、
例えば他人と一緒に歩く時にその人との関係を(無意識に)適切に判断して距離や位置を判断する能力のことじゃないかと思う。
近すぎても遠すぎても前すぎても後ろすぎても真横でもダメな感じ。

と、一緒に歩いて「邪魔くさいな」と思う相手が一緒だったので考えた。
わっかんねぇかなぁ。
その距離感は煩わしいんだよね。


by radi-spa.horie | 2016-12-13 23:20 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 08日

I love you.

c0057602_00052051.jpg
ものすごく長い間、自分の感情を表に出すことを良しとしない考えをしていた。

特に「好き」だと口に出して言うことを意識的にしてこなかった気がする。

もういいトシだけれど、残りの人生そんなんではもったいないので最近は意識して「好きだ」ということにしている。

by radi-spa.horie | 2016-12-08 00:05 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 01日

目分量

c0057602_12093440.jpgいつ頃からだろうか、目分量で調味料を入れても煮物の味がパシッと決まるようになったのは。
若い時分は入れすぎたり、足りなくて慌てて足して雑な味付けになったりしたものだった。
それでも「計る」というのが何か違う気がして頑なに目分量でやっていたらそのうち良い塩梅が身についた。

良い塩梅、という中には調味料の量だけじゃなく食材を入れる順番やタイミング、食材の状態に合わせた調味料の増減なんかも含まれると思う。

そう考えると、人間関係を構築・維持していくことは料理によく似ている。

過ぎれば取り返しがつかなくなることもあるし、足りなければ水臭い。
それも人との付き合いを通してでしか塩梅を学ぶことはできないし、計れるものではない。
同じ人と同じコミュニケーションの取り方をしていれば同じ関係を保てるわけではない。
食材と同じく、相手の状態に合わせて頃合いを調整する必要がある気がする。
春の大根と秋の大根に同じ味付けをしていてはダメなのだ。

まぁ、それが上手くできれば苦労はしないのだが。


by radi-spa.horie | 2016-12-01 12:09 | 人間 | Comments(0)