カテゴリ:人間( 209 )


2017年 02月 28日

Smell as sweet

「わかりやすく噛み砕いて説明する」というのは
「少々間違った情報でも耳障りが良ければいい」というのと同義ではないよ。
人もモノもその名前で呼ばれるにはそうである理由があるから。

「名前がなんだというの? 
バラと呼ばれるあの花は、
ほかの名前で呼ぼうとも、
甘い香りは変わらない。」
なんてのは色恋に目がくらんだお嬢様の言い分で。

本来の名前で呼ぶのは大事なこと。
「わかりやすいから」と想像がつきやすい別のものと混同させるのは「それ」に対して礼を失すると思う。


by radi-spa.horie | 2017-02-28 18:03 | 人間 | Comments(0)
2017年 01月 09日

そういえば、昔からそうだった。

c0057602_23071896.jpg「時間ギリギリで最後の最後に残った、もうそれしか選択の余地のない方法」
というのがジッと何かの影に隠れて助監のキューを待ってる。
あとは「ここぞ」というとんでもなく切羽詰まったタイミングで出されるキューに、
「その方法」は満を持して出てくるのだ。
「おい、オレを待ってたんだろう?」と。
もうなんだかスクリーンに大写しになったベネディクト・カンバーバッチのように。

最初からちゃんと準備をして、その計画通りに事が進み、上手くいくに越した事はない、
とどこかで思っていても、ギリギリまで手をつけられない。
それは「トラブル好き」という言葉では括れない、
「マゾヒスティック」でもない。
ましてや「追い詰められないと動けない」なんてドラマティックさでもない。
大ごとでともすれば取り返しがつかないのでは、ということほど、
そうしてしまう。

「運命を待つ習性」とでも言うべき呪われた体質。

体質だから治らない。


by radi-spa.horie | 2017-01-09 23:17 | 人間 | Comments(0)
2017年 01月 05日

やがてゆく道

c0057602_22495276.jpg小さい子、それも2〜3歳の「どう動くかわからない、見た目ではわからないとんでもない力を発揮する瞬間がある」幼児を、安易に身体的なポテンシャルがどんどん低下するおじいちゃん・おばあちゃんが世話を買って出てはいけないと思う。
「そうは言うけれど昔は畑仕事の間、年寄りが子供の面倒を見てたもんよ」
なんて言うのは車両が今のように多くなく、突然刃物を振り回すような犯罪がなかった時代のこと。
よく見るんだけれど、おじいちゃんおばあちゃんに連れられた幼児がその手を振り切って車道へ飛び出すようなことがままある。
あんな子供を自分の車で、なんて考えるだけでゾッとする。
こっちにも、世話をする自分たちにもとんでもない負担になることをよく考えて欲しい。
孫が可愛いのはわかる。
たぶん自分がそうならそうするであろうと思う。
ただ、そこで思いとどまるのが孫のためではないかと思う。

あと、自転車も免許制にしてはもらえまいか。
ある程度の年齢以下も以上も「ルールを守る」という意識以外の部分で危ない。
「交通弱者」とは言うが、それを作らない工夫も必要なのではないか。
無責任な親の自転車について確認もせずに車道に飛び出してくる子供をよけたり、自転車の荷台に山のように荷物を積んでフラフラと車道と歩道を行きつ戻りつするお年寄りをヒヤヒヤしながら追い抜くのは自転車に乗っている時ですら非常にコワい。


by radi-spa.horie | 2017-01-05 15:49 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 26日

ヴェロシティ

c0057602_09591409.jpg若い頃って自分の好きな人としか付き合いがなくて偏ってるから、その振り幅の外にいる人がする事・言う事に対して「変だ」とか「理解できない」とかって言うけど、要は自分のヴェロシティが世間の振り幅についていけてないってことを露呈してるだけなんだよね。



by radi-spa.horie | 2016-12-26 09:57 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 13日

distance

c0057602_23201546.jpgよく言われる「空気を読む」というのはなにも特別なことではなく、
例えば他人と一緒に歩く時にその人との関係を(無意識に)適切に判断して距離や位置を判断する能力のことじゃないかと思う。
近すぎても遠すぎても前すぎても後ろすぎても真横でもダメな感じ。

と、一緒に歩いて「邪魔くさいな」と思う相手が一緒だったので考えた。
わっかんねぇかなぁ。
その距離感は煩わしいんだよね。


by radi-spa.horie | 2016-12-13 23:20 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 08日

I love you.

c0057602_00052051.jpg
ものすごく長い間、自分の感情を表に出すことを良しとしない考えをしていた。

特に「好き」だと口に出して言うことを意識的にしてこなかった気がする。

もういいトシだけれど、残りの人生そんなんではもったいないので最近は意識して「好きだ」ということにしている。

by radi-spa.horie | 2016-12-08 00:05 | 人間 | Comments(0)
2016年 12月 01日

目分量

c0057602_12093440.jpgいつ頃からだろうか、目分量で調味料を入れても煮物の味がパシッと決まるようになったのは。
若い時分は入れすぎたり、足りなくて慌てて足して雑な味付けになったりしたものだった。
それでも「計る」というのが何か違う気がして頑なに目分量でやっていたらそのうち良い塩梅が身についた。

良い塩梅、という中には調味料の量だけじゃなく食材を入れる順番やタイミング、食材の状態に合わせた調味料の増減なんかも含まれると思う。

そう考えると、人間関係を構築・維持していくことは料理によく似ている。

過ぎれば取り返しがつかなくなることもあるし、足りなければ水臭い。
それも人との付き合いを通してでしか塩梅を学ぶことはできないし、計れるものではない。
同じ人と同じコミュニケーションの取り方をしていれば同じ関係を保てるわけではない。
食材と同じく、相手の状態に合わせて頃合いを調整する必要がある気がする。
春の大根と秋の大根に同じ味付けをしていてはダメなのだ。

まぁ、それが上手くできれば苦労はしないのだが。


by radi-spa.horie | 2016-12-01 12:09 | 人間 | Comments(0)
2016年 11月 18日

尊敬と思いやり

c0057602_12053440.jpg前々から気になってた、というか気に入らなかったこと。

YouTubeなんかをのぞくと「魚のさばき方」とか「お寿司の握り方」とか「〜のコツ」とか様々なHow toがアップされていて、それはそれは便利で「いっつもうまくいかないけどこんなコツがあったのか」と目からウロコだったりするんだけれど。

それはもちろん否定はしない。便利だし。ホリエ自身も時々参考にさせていただいている。

でも。
「やってみたら意外と簡単にできた。板前なんて大したことねぇな」
なんて風潮がどうにも気に入らない。
「坊主の真似してお経読んでみたらフツーに読めるじゃん。全然法事してやるよ」
ってのと同じだと思う。

それらに共通するのは対象となる行為への尊敬のなさとその行為の結果として生み出されるものを提供する相手への思いやりのなさ。
そういう「精神性の低さ」が苦手だ。

そういうのは幼い頃からのいわゆる「食育」が大事なんだと思う。
食材に対する理解や尊敬、調理に向き合う心の問題、食べてもらう相手に対する心持ち。
幼少時に「作ってる人の顔が見えない」ものを食べてばかりいるとそれらが不足しがちな気がする。
だからと言って大人になってからは身につかない、というわけではない。
自分にそれがない、ということを自覚する必要はあるけれど。

ちょっと器用な人間であれば「道具さえ揃えば」それなりのものを作ることができる。
ただ口にしたいのは「こんな状態のものを食べてもらいたい」という気持ちで作られた結晶であって「コツ」ではない。
特に食に興味がない人は調理するってことをナメてる傾向が見られる。
というかその技術を身につけるために要した時間やその人の努力をナメてる。
そのせいでちょこちょこっと見聞きした「データ」を「技」だと思ってしまう。

「データ」で作られた料理は「食べ物」ではあるけれどそれ以上にはならない。
「心」で味が変わるわけではないかもしれない。
「心がこもった」ものを食べてそうじゃないものと区別がつくかと言われれば、難しいかもしれない。
でもホリエが欲しいのはそういう精神性で、それは自分が提供したいものでもある。
だから自分でも同じものを作るにしても精神的に雑にならないようにしている。
古い考え方なのかもしれないけれど、道具や材料に左右されたくないし、コツにばかり頼って調理の過程で手を抜きたくない。
料理の腕を見せたいわけじゃない。「こんなものを作れるんだ」と自慢したいわけでもない。
ただ食べた人が「おいしい」と言ってくれることだけを望んでいる。
だからホリエの作るものは「飾り気が無くて地味」だと言われるんです(笑)
でもそれでもいい。それが自分の料理だから。


by radi-spa.horie | 2016-11-18 12:03 | 人間 | Comments(0)
2016年 11月 15日

過剰なプロフェッショナル

c0057602_10041373.jpg

どんな現場でもあることなんだけれど、「やりすぎててしんどい人」っていない?

やりすぎというか「職業オタク」になっちゃう人。

なんでも「がんばる」ことはそりゃもちろんいいことなんだけれどね、それは否定しないけれど、手段が目的になっちゃうとそれはもう「場の雰囲気が読めない」人以外のなにものでもないわけで。

がんばってる感を出さずに結果を残すのがプロフェッショナルなわけでね。

「オレッちこんなにやってるぜ・知ってるぜ」って前面に押し出されると「ハイハイ」ってちょっとゲンナリしちゃう。

そういうタイプの人って仕事だけじゃなくプライベートでもそういうの出してくるじゃない?

「こんなにがんばってる」とか「こんなすごい人と知り合い」とか「こんなに忙しい」とか。

あれしんどいんだよなぁ。

特にホリエ自身が「がんばる」とか自己主張とかが苦手な自堕落な人間だからかもしれないけれど。

いや、きっとそのせいなんだけど。

ゆるくいこうよ。表向きはさ。がんばるのは中身だけでいいよ。



by radi-spa.horie | 2016-11-15 10:03 | 人間 | Comments(0)
2016年 11月 13日

マニア(告知含む・笑)

c0057602_17264538.jpg6月まで「カレー屋ホリエ亭」を週一でやらせてもらって面白いことが色々ありました。

その中でも「ホリエが作る特定の料理をものすごく喜んでくれる人たち」の存在が興味深かったなぁ。
女子で多かったのはキャロットラペ好き。
特段変わったレシピで作ってるわけじゃないし、毎回目分量でしかもその度アレンジが違うんだけどなぜかウケた。
ありがたいね。

一度、どうしてもいいニンジンが手に入らなくて作らなかったことがあったんだけれど
「なんで今日はラペないんですか?」と尋ねられたりした(笑)
ほんと、ありがたい。

あとは毎回お付けしてた冷たいポタージュかな。
それも毎回違う食材で違う味付けだったんだけれど、あるOLさんなんかは「辛いものが苦手なんでカレーは無理なんですけどスープだけって失礼かなと思ってカレーを食べてた」っておっしゃってて(笑)
そんな無理させるのも悪いからってことでハニーマスタードチキンサンドをレギュラーメニューにしたり。

なんか、こっちが何気なく作ってるものに限って「ハマる」人がいたりして、それは本当に面白かった。

今月、25日にホリエ亭が「昼呑み屋ホリエ亭(カレーもあるよ)」と題して限定復活します。
もちろんラペも(笑)
「カレー屋」じゃなくなった分、酒の肴増量の予感。
お時間あれば是非。


by radi-spa.horie | 2016-11-13 13:53 | 人間 | Comments(2)